優和スタッフブログ

地域情報

初詣

12月も中旬に掛かろうかという日曜日、美術館「えき」KYOTOに行くため京都駅前に降り立ちました。
さすがに年末、人出も多いと思いながらよく見ると、どうも観光客の方々。
昨今、紅葉の時期がずれたりしている事が原因かと思いつつ、実はこの時期の観光状況を知らなかったことに思い当たりました。
このあと年末年始にはまた来訪者が増える京都。
皆様すでにご存じの事ですが、比較的狭いエリアにかなりの神社仏閣が集中しています。
沿線各私鉄は元旦の夜中も営業し、各地からの参詣者を運んでくれます。
初詣のはしごなど如何でしょうか?ただし組み合わせや順序にはご注意を!
安井金比羅宮
http://www.yasui-konpiragu.or.jp/
地主神社
http://www.jishujinja.or.jp/index.html
ちなみに我が家は「松尾大社」にお参りしてます。
http://www1.neweb.ne.jp/wa/matsuo/
京都本部 二神幸彦


みかん

冬の風物詩といえば、皆さんは何を思い浮かばれますか。
「コタツにみかんで、紅白?」なんて一昔の話でしょうか。
松山、愛媛といえばやはり「みかん」と思う方も多いのではないでしょうか。
他県では、愛媛で蛇口をひねるとミカンジュースが!
なんて思われている方もいるのでは。
でも、最近はみかんの消費量はどんどん下がり、みかん農家の方も大変厳しいと聞きます。
そこで、美味しいみかんの見分け方を一つ。
みかんのへたをの切り口をみて、小さいものは美味しいようです。
また、時間がたつにつれ、へたは黒ずんでくるので、避けたほうがいいようです。
この冬、美味しいみかんをたくさん食べてみてはいかがでしょうか。
松山本部 野上


紅葉

京都の秋は紅葉一色に染まります。
知る人ぞ知るところから意外な穴場まで
数多くの紅葉スポットが楽しめます。
嵯峨あたりは名所がたくさんあるので
お勧めかと思います。
嵐山駅から常寂光寺、二尊院、祇王寺の
コースなどは観光客も多いのですが
見応え充分です。
私の記憶にある紅葉名所といえば、
左京区の永観堂と高雄の神護寺です。
今年は場所により12月上旬ごろまで
見頃のところがあるので、ゆっくりと
秋の風情を感じたいものです。
京都本部 田村


松山の紹介(その6)

「松山捕虜収容所とロシア人墓地」の歴史
明治37(1904)年2月10日に日本はロシアに宣戦布告し日露戦争勃発。
この1ケ月後に、ロシア兵捕虜と松山市民との歴史物語が始まる。
 宣戦布告から20日後の2月29日夕方、日本赤十字社から愛媛県日赤支部に「露国兵士患者数20余名、救疫の必要あるにつき県立病院の一部を借り受けた収容救護に支障あるか否か」の問い合わせの内容の電報が入る。
愛媛県日赤支部からその日の夜中、日本赤十字社宛に「受諾する」旨の返電を送信。
 その時のロシア兵患者とは、日本が宣戦布告する前日の2月9日午後、朝鮮の仁川沖で日本艦隊に撃沈されたロシア巡洋艦・ワリヤーグ号の22人の負傷兵たちであったという。
 宣戦布告前であったため、日本政府はこの兵士たちを捕虜とせず、「難破船救助民」と認定してその身柄を愛媛県の日本赤十字社支部で引き受けることを依頼してきた。
 松山が捕虜収容所の適地として日本で最初に選ばれた理由は、第一には前の日清戦争で、松山に日本で初めて清国兵士捕虜収容所が置かれた事にあったようである。
 その後3月19日、5月15日、6月10日、13日、・・・・と立て続けに送られ、百回以上、延べ6千余名の捕虜兵が松山に上陸している。
 松山捕虜収容所の当初の目的は、傷病兵を預かることであったが、傷病兵の付き添いで健康な将校も多数上陸。
 捕虜たちは、松山市民の「博愛の心(もてなしの心)」で外国から来た客人として取り扱われ、役務にも就かせず、温泉にも入れ、海水浴もさせ、学校の授業も参観させ、1里以内の自由行動も許されていた。将校の中には祖国から妻を呼び寄せて住むことまで許可された者もいた。
 元気になって帰国した兵士から、もしも捕虜になったならば「マツヤマ」と叫べとの言葉が伝えられることになったという。
 松山の捕虜収容所は負傷兵を対象として開設されており、重傷の負傷兵も沢山収容されていた。したがって、捕虜収容所の病院で祖国ロシアへ帰国することが叶わずして亡くなった兵士も多くいた。
 明治37年4月28日に第1号死亡者の墓ができて以来、98基の墓が城山の見える丘にロシア人墓地として建立される。その後、この墓地も荒れ放題であったが、昭和35(1960)年11月現在の地に移転整備される。
 その後、昭和58(1983)年ごろから、地元の勝山中学生徒会や老人会の手によって月1回の墓地清掃活動が続けられ、大切に保存されている。
 平成6(1994)年10月25日には「傷ついた兵士を残しては、自分一人では帰れない」と言って、ここ松山の地で明治38年9月に亡くなったボイスマン大佐の胸像が建立された。
日ソ(露)友好のかけ橋として
 (『愛媛、この百年』中川幸男著より抜粋
               優和 松山本部 村上


お火焚(ひた)き

もうすぐ11月です。
11月に入ると、京都の各神社から煙が立ち昇り、「お火焚(ひた)き祭」が行われます。
お火焚(ひたき)とは?
京都やその他地方で行われる神事で、陰暦11月に社前において火を焚き、祝詞や神楽で神意を慰めるものです。秋の収穫感謝の新嘗祭(にいなめさい)の一種、または古くから庭燎(にわび)を焚いて神楽を舞ったものの名残であるとも言われています。神社だけでなく民間でも行われ、みかんや饅頭、おこしなどを供え、参詣者や子供たちに配ったりします。また鍛冶屋の鞴(ふいご)祭りなど民間で行われることもあったようで、火を用いる業種(染物屋や風呂屋、鍛冶屋・造酒屋)などで、この様なお火焚きの日が決まっていることが多くあります。
秋の京都観光は紅葉が主役になりがちですが、煙を探して「お火焚き」めぐりはどうでしょうか。素朴な味のお火焚饅頭を食べながら。
京都本部 N


時代祭

10月に入り京都もすっかり涼しくなりました。
あと1カ月もしたら紅葉がはじまり清水寺や東福寺など賑わいを増すことと思います。
 10月の京都のイベントと言えば22日の『時代祭』。
秋の都大路に繰り広げられる一大ページェント。行列は“激動の幕末”から始まります。鼓笛を響かせ整然と行進する維新勤王隊列を先頭に、江戸、安土桃山、吉野、室町、鎌倉、藤原、延暦の各時代の人物が彩りを添えつつ華やかなパレードを繰り広げます。「時代祭」は京都三大祭の一つです。
 総勢2000名(馬70頭、牛2頭、馬車、牛車なども含み)、総延長2キロにわたる行列の巡行は約1時間30分にも及ぶ一大歴史風俗絵巻。観客はいながらにして日本の歴史が偲ばれ、その華やかさに魅了されます。
 時代祭の行列の見学には、出発場所の京都御苑と御池通、平安神宮道に設けられる有料観覧席でのご見学をおすすめいたします。
 去年は三条大橋から見学しました。近くで馬を見られたり、音楽やアナウンスに合わせてパフォーマンスをしてくれたりで楽しいのでぜひ一度足を運んでみてください。
京都本部 藤岡


化野(あだしの)

週明けにはお盆を迎え、まだまだ暑い時期が続きます。
出典は忘れましたが、日本で夏場一番暑い地域は京都、大阪らしいです。
子供の頃はこの時期、地蔵盆の行事が楽しみでした。
長じたのちは参加することもなく、北関東に居住していた時期はそもそも行事自体見かけることがありませんでした。
この地蔵盆、地蔵菩薩の縁日の8月24日とその前日のお祭りだそうで、実際の行事はこの近辺の土日に市内各所で行われます。
子供たちが彩色したお地蔵さん、なかなかきれいなものもあります。
また、奥嵯峨の化野(あだしの)念仏寺では、この2日間、千灯供養が営まれます。
一時期は事前に来訪予約が必要だったのですが、最近は撤廃されたようです。
http://www.nenbutsuji.jp/nenkan.html
化野の地は平安の昔、風葬の地であったところで、あちこちに散在していた石仏、供養塔をあつめたお寺が念仏寺だそうです。
この時期はとにかく暑いので、京都来訪はあまりお勧めしませんが、全国的に知れ渡っている大文字の送り火とは違った風情が楽しめるかも知れません。
京都近辺在住の方は遠くさかのぼればご自身のご縁者がまつられているかも知れませんね。
京都本部 二神幸彦


祇園祭も終盤!

京都の夏祭りと言えばやはり祇園祭。
今年は台風の影響もあり、14日から16日迄の宵山等の人出
は案外例年より少なかったと思います。
しかし、17日山鉾巡行には、かなりのたくさんの人が集まり、
我、京都本部の前にもたくさんの観光客や、一般の人が浴衣姿
等で、観覧されておりました。私たちも部屋の中から、覗いて
みたり・・・理由の一つに、家族やクライアントさんが参加して
いると言う事もあり・・・(さぼって見ていた言い訳です!)
この祇園祭の一番迫力のある場面は、10日、28日の御輿洗い
だそうです。神社の方は、是非見て頂きたいとの事で、祭の激しさ
が実感できますよとの事です。来年の祇園祭は是非、京都においで
下さいませ。
   京都本部   下田
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松山の紹介(その5)

 坂の上の雲ミュジアム
 前回で少し紹介しましたが、坂の上の雲ミュージアムが、平成19年4月28日開館しました。
 このミュージアムは松山のまち全体をフィールドミュージアムとする構想の一角を担う施設として創立されました。地下1階、地上4階建てで、建築家 安藤忠雄氏による設計のもと平成16年12月22日着工、平成18年11月30日に竣工しました。
 松山城周辺の歴史や文化を意識して考えられた建物は周囲の自然環境に配慮した外観と安藤氏がイメージする「坂の上の雲」を表現した空間となっています。
 観光客からはよく、ミュージアムはどこかと尋ねられることがあると聞きますが、入場者数は当初の予想・計画を大幅に上回っているようです。
 今年の秋から来年以降、ドラマの撮影が始まると一層、松山が全国的に知られてくると思いますが、独自の文化を維持しつつ、新しい松山が発見できることを期待しています。
 ドラマといえば、「バルトの楽園」という映画がありますが、この物語は、第一次世界大戦中の徳島県鳴門市の板東俘虜収容所で起きた実話を基に、収容所所長・松江豊寿の活躍や、俘虜となったドイツ兵と地元の住民の交流などを描いた感動の映画です。
 その十年前の1904年(明治37年)に始まった、大日本帝国とロシア帝国が、朝鮮半島と満州の覇権を巡って争った日露戦争を背景に描かれたのが、司馬遼太郎作「坂の上の雲」です。
 この日露戦争の時に捕虜となったロシア兵のうち、松山俘虜収容所には延べ6,000人余りが収容されました。病気や戦場での傷が元で命を落とした98名のロシア兵士達の安らかな眠りを願って、立派なロシア人墓地がたてられました。
(次回はこの松山俘虜収容所を紹介する予定です。)
      松山本部 村上


‘めんどくさい‘こだわり

やっと暖かくなってきたので、そろそろ我が家では恒例の「名水汲み」
にいく頃となりました。
埼玉県で有名な名水といえば、寄居町の「日本水(やまとみず)」です。
古くより干ばつ時、雨乞いのもらい水で御利益がある霊水として広く崇められていて、
環境省の「名水百選」にも選ばれています。私達は「日本水」から、さらに西の秩父
まで足をのばして、車で山を登っていきます。
きっかけは友人からの情報でした。始めは「そんなに水道水と違うのか?」
と半信半疑でしたが、実際行ってみると、水が湧き出ている取水所で
順番待ちをしていて、また県外からも水を汲みにきている方もいて驚きました。 
そんな湧き水を飲んでみた感想は「やはり混じりけのない純水」でした。
それからは、なくてはならない「生命の源」(ちょっと大袈裟?)となり、2??3ヶ月に
一度、18リットルの水用タンクを10ケほど積んでドライブがてら、いろんなお店に
寄り道をしながら、湧き水を汲みに行くようになりました。
 (余談ですが水タンク専用収納棚を特注してしまいました・・・)
皆さんにも、こんな「”めんどくさい”こだわり」はありますか?
埼玉本部 武井


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