優和スタッフブログ

地域情報

鬼が笑ってる?

12月になりました。
そろそろ来年の抱負など語る時期ですが、「来年の事を言うと鬼が笑う」と言われます。
京都で鬼の話と言えば「羅城門の鬼」
酒呑童子討伐に参加した渡辺綱が羅城門に鬼がでるとの噂を確かめに行き、遭遇した鬼の腕を切り落として持ち帰ったが、後日取り戻される、という話です。
ここで登場する鬼は茨木童子といい、討伐された酒呑童子の配下であった鬼との事ですが、元々の話では場所や相手が違うようです。
話の原型は屋台本平家物語劔巻(つるぎのまき?)にあり、その中では鬼に遭遇する場所は一条戻り橋で、相手も茨木童子ではありません。
羅城門への舞台の移動は、渡辺綱の生存中に羅城門が倒壊し、その後荒廃していった為、鬼の舞台にはおあつらえ向きとなったのかもしれません。
また茨木童子は酒呑童子討伐伝説に絡めた設定なのでしょう。
さてこの羅城門、以前ご紹介した朱雀門同様今は跡形もありません。
奈良の平城京の朱雀門のように再建でもすればと思ったりもしますが周りは住宅地なので無理でしょう。
一方の一条戻り橋は現存しており、そこから堀川通りを横断して北に少し行くと清明神社があります。
羅城門
http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/toshi05.html
一条戻り橋
http://www.hct.zaq.ne.jp/bachikan/siseki/modoribasi.htm
ところで冒頭の「鬼が笑う」の由来にはなかなか微笑ましい話もあるようです。
鬼の歯折れ説
http://harmonyatsugi.hp.infoseek.co.jp/kyusoku/onigawarau.html
皆様、鬼に笑われないような抱負を持ちましょう。
京都本部
二神 幸彦


六斎念仏(ろくさいねんぶつ)

京都駅から西南西方向に直線で約3キロ程の処にある吉祥院天満宮、ここは菅公生誕の地と言われており菅公を祀る本殿のほか、菅原家の信仰していた吉祥天女社や菅公のへその緒を収めた胞衣塚などがあります。
ここには毎月の縁日などはないですが天神さんの例にもれず祭りは「25日」に行われ、8月25日には夏季大祭が行われます。
このとき奉納される「六斎念仏」は国の重要無形民俗文化財になっているそうです。
昔は悪鬼が出て命を奪う不吉の日と考えられた日が月に6日あったそうで、この日に鉦(かね)をたたき踊念仏を行ったことが発祥で、空也上人が広めたそうです。
身近に行われる伝統芸能、お時間があれば是非とうぞ。
吉祥院天満宮
http://www.kyoto-16sha.jp/j_kissyouin.html
http://www.ne.jp/asahi/lon/room/profile/tenjin/tenjin.html
六斎念仏
http://www.kyototsuu.jp/Sightseeing/EventRokusaiNenbutsu.html
京都本部
二神 幸彦


松山の紹介(その10)

伊予鉄道の「ダイヤモンドクロス」について
(鉄道における平面交差線路と線路が平面で直角に交わるダイヤモンドクロス)
 カンカンカンカン・・・・・、甲高い警報音とともに遮断機が下がり始める。路面電車が、踏切待ちをし、その前を別の列車が横切る。
 ご当地松山には、全国的にも非常に珍しい軌道(路面電車)と鉄道(郊外電車)が平面交差する、通称「ダイヤモンドクロス」があります。
 この平面直角交差は、全国で2番目に古い歴史を持つ、私鉄・伊予鉄道?蠅留萓・幣昌鎧堝發涼羶管堯砲砲△蝓∋堝眦甜屬塙抒暗甜屬?平面直角交差(ダイヤモンドクロス)するものです。
 この「ダイヤモンドクロス」は、現存するものはここ伊予鉄道の郊外電車「高浜線」と市内電車「大手町線」が直角にクロスする大手町だけであり、全国の鉄道マニアの注目の的であるという。
 カメラを持って撮影にきているところを見ることがあります。(全国から来ているということです)
 路面電車同士の平面交差はかつては多くの例があったが、路面電車の廃止が相次いだり路線が大幅に縮小されるに連れ減少し、現在は土佐電気鉄道と阪堺電気軌道に1箇所ずつ残るのみとなっています。
 さてこのダイヤモンドクロスの通行の優先順位は?というと、大手町のダイヤモンドクロスでは、上記のとおり全て郊外電車の高浜線が優先となり、路面電車は自動車と同じく踏切待ちをして、郊外電車が通り過ぎるのを待たなければなりません。
 道路事情で路面電車の運行状況が変わるため、郊外電車が大手町の交差点を通過する時すべてで路面電車の踏切待ちが見られるわけではありません。
 一見簡単そうに見えるダイヤモンドクロスにも、工事ではレールの問題、架線の問題等々技術的にはいろいろな難しい問題があったそうです。また、ダイヤモンドクロスは、レールの維持・保守よりも架線の保守のほうが大変だということです。架線の調整では、郊外電車は自動高度調整ですが、市内電車では手動で調整するそうで、定期的に、6月と11月に調整するということです。(夏の高温時になる時と、冬の寒くなる時に)
 なお、伊予鉄道大手町駅ダイヤモンドクロス関する詳しい説明・動画等は
  「平面交差」、「ダイヤモンドクロス」、「伊予鉄道大手町駅」
などで検索できます。
     松山本部 村上


「松山」について

私が松山を訪れたのは過去に二度、大学4年の時と平成4年頃フリーターをしていた時。
一度目は広島大学の調査船でサンプリングの帰りに松山港へ入港し、その日は確か停泊したような記憶があります。
二度目は道後温泉に泊まるつもりが愛媛大学の受験日と重なって宿がとれず、予定を前倒しして香川の多度津まで足を進めました。ですので実際には松山の地の印象は殆どありません。
そんな私が何故、松山についてなどと題して書いているかと言いますと、私の姓「ふたがみ」の由来地が松山の沖に浮かぶ「二神島」だからです。
二神島
http://imagic.qee.jp/sima3/ehime/futagamijima.html
地名を名乗るのはよくある事で、二神姓も南北朝期にこの島を本拠とした地方豪族が名乗った事が始まりだそうです。
最も直接の先祖がこの島の出身であったかどうかは定かではありませんが。
我が祖の動向は次のリンク先をご参照下さい。
二神のホームページ
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/futagami/index.htm
京都では珍しい姓ですが、一度目の松山入りの際、電話帳をみてその数の多さに感動したものです。
また二度目の松山入りはこの島に行く事が本来の目的でした。
が、何せ行き当たりばったりの旅でしたのでフェリーの時間がうまく合わず、また前述の宿の問題もあり、果たせませんでした。
いずれ再トライしてみようとは思っております。
と言う事で、松山本部の皆様、よろしくお願いいたします。
京都本部
二神 幸彦


智積院

岩下志麻さんが出演されている某化粧品のCMを
ご存じでしょうか?その撮影場所として京都の智積院が
使われておりまして、先日そこに行って来ました。
智積院は真言宗智山派の総本山で、東山七条の
三十三間堂の近くにあります。
CMに使われたのは、「利休好みの庭」と伝えられる庭園で、
桃山時代に中国の廬山(ろざん)を形どって造られたそうです。
床の下まで深緑の池が入り込んでいて、建物が池に浮いて
いるかのような造りです。ツツジやサツキの咲く五月から
六月にかけてが一番の見頃のようで、今は庭園修理中の
こともあってか観光客は余りおらず、ゆっくりと座って
庭を鑑賞することができました。
智積院では他に、桃山時代に長谷川等伯らによって
描かれた国宝の障壁画を鑑賞することができます。
境内全体はかなり広く、落ち着いた雰囲気の中で
ゆっくりと参拝したい方に是非おすすめします。
京都本部 今尾


松山の紹介(その9)

坊っちゃん列車(伊予鉄道)
 卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、田舎へ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようと云うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即席に返事をした。これも親譲りの無鉄砲が祟ったのである。
(中略)
 停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。
(『坊っちゃん』夏目漱石著より)
 夏目漱石の小説「坊っちゃん」の中で、軽便鉄道時代の伊予鉄道が「マッチ箱のような汽車」として登場しており、四国・松山の中学校に赴任する坊っちゃんがこれに乗ったことから、坊っちゃん列車と呼ばれるようになった。
 現在は、伊予鉄道により松山市内の軌道で復元運行されており、現在ではこちらの方を指すことが一般的である。
 伊予鉄道には鉄道線と路面電車の市内線があり、実際に夏目漱石が乗ったのは鉄道線の方の高浜線だというが、伊予鉄道は市内線の方に当時の列車を再現した、坊ちゃん列車を走らせている。
 坊ちゃん列車は機関車が客車を引く客車列車で、機関車は当時の蒸気機関車そっくりの外観になっているが、ディーゼル機関車になっている。当然煙や蒸気は出さない(蒸気機関車の雰囲気を出すため、煙突から出ている煙に見えるものは、水蒸気を煙に見たてたもの)。機関車は罐の焚口なども再現されており、蒸気機関車そっくり。走行区間は、古町-松山駅前-道後温泉、および、松山市駅前-道後温泉の2種類。
 復活運行開始当時は乗車には記念グッズと市内電車1日乗車券込みの1,000円が必要でしたが、現在は(2002年8月から)1回乗車のみなら300円。他にも、記念グッズ付き1日乗車券1,000円などがあります。
(松山市駅の近く、伊予鉄道本社ビルの前に、坊ちゃん列車の復元模型がある。)
  松山本部 村上


観光地京都

先日の新聞に、嵐山へ行く観光客が増えているとの記事がありました。
京都に来る観光客の行き先第1位は清水寺、第2位は嵐山ですが、その差は2倍以上あいているようです。しかし、地下鉄が延長されたことにより、嵐山へ行く観光客が増え1位の清水寺に近づいてきているそうです。
そんなことから、少しは空いているかと思い、週末に清水寺のライトアップを見ようと清水寺方面に向かいました。しかし、近くまで行くと観光客だらけで、歩くのも大変なくらいであったので、行き先を高台寺に変更しました。ところが、高台寺もいっぱいで、結局ライトアップは断念しました。
普段は、そんなに混んでいないのに、観光シーズンの京都を甘く見てはいけませんね。
 京都本部  中村


お稲荷さん

一年最後の月もあけ、京都は間もなく初詣で賑わう時期になります。
初詣といえば中学生の頃、伏見稲荷大社に二年参りに出掛けた事があり、年が明けた瞬間に飛び交う硬貨と賽銭箱に貯まっていく紙幣に驚いた記憶があります。
伏見稲荷大社といえば全国の「お稲荷さん」の総本宮、商売繁盛の神様として認知されており正月三が日の賽銭の多い事は皆様ご存じの通りです。
また稲荷山に登る参道にある「千本鳥居」は時代劇でもよく見かけます。
さて、この伏見稲荷大社、平城京遷都の翌年、秦氏の創建とされています。
実はこの辺りは元々、古代氏族「紀氏」の勢力範囲だったらしく、稲荷山には紀氏の祀る神社があったそうです。
秦氏の勢力伸長におされた結果、稲荷山には稲荷神社ができ、元々の神社は今の「藤森神社」の社地に移転、この移転に押されて、真幡寸神社という神社が移転し、現在の「城南宮」となっているとの説があるようです。
伏見稲荷大社
http://inari.jp/index.html
藤森神社
http://www.fujinomorijinjya.or.jp/
城南宮
http://www.jonangu.com/
藤森神社は競馬、城南宮は厄除けに御利益があるといわれている神社です。
この三社は京阪と近鉄を丹波橋経由で乗り継ぐと一日で回る事が出来ますので、押し出された順番に回ってみられるのも一興かと思います。
因みにこの三社、子供の頃の遊び場でした。
京都本部 二神幸彦


紅葉

紅葉の季節がやってきました。
京都は神社仏閣の紅葉が有名で、事実、色鮮やかです。
私の田舎は、人口構成で人間が3番目というほどですから
この時期は植林されている場所以外、まわりの風景が
すべて紅葉という状態ですが、それでも京都の紅葉は
きれいに感じます。
田舎の父親は、樹木が趣味で、すでにできあがっている
家のまわりではなく、その外にある小さな山々をメイン
フィールドに私が小さいころから植樹をしてきました。
最近になって、手を加えた感じから自然な風景に
溶け込んで、まさにいい感じになっています。
思い返せば、30年以上前に一緒に桜やもみじ
を植えたときから、遠い将来、どんな風景になる
のか楽しみに手を加え、季節ごとに花の咲く木や
紅葉をイメージして植林してきたのでしょう。
なんとも気の長い贅沢な趣味です。 
ただ 田舎なのでお金はかかりませんが。
ところが、京都のように神社仏閣の中となると話は別です。
木々の近くにある建物は国宝、重要文化財のオンパレードです。 
自由に成長させることさえままなりません。
加えて、最低でも数十年、中には樹齢千年を超える樹木を維持し
手を加え、残していかなければならない、京都の紅葉は
長い年月、人々の労力により存在することに思いを馳せながら
みると、その美しさがより深く感じられます。


京都市営バス

先日、京都市営バス(以下、市バス)に乗っておりますと、停留所で待っていた観光で来られた風の若い二人連れの方が、『スゴイ~!』と大声で叫んでおられました。
何がスゴイのか、と見てみると、バスの左側(乗降車側)が上下運動することに驚かれている様子です。乗客が乗り降りしやすいためのものですが、このような工夫や新しい試みは、大歓迎です。京都の市バスは、使用済天ぷら油で走らせたり、100円循環バスの運行、バスロケーションシステムの設置などの乗客にとっては、有難い取り組みをされています。紅葉で染まる京都は1年で最も良いシーズンです。市バスで京都観光されてはいかがでしょうか。
京都本部 T.K


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