会う人、会う人に
「お腹でたね」
「太った?」
ちょっと気を使われて
「がたい良くなった?」
等と言われます。
周りからは
「幸せ太り」だよ
からかわれていますが
若坊守からも
健康のことが心配と言われ
流石にまずいのではないかと考え
夫婦二人でできるものはないかと相談の結果
散歩することにしました。
話すということでも同じようなことを
書きましたが、
本来歩くといったら、目的地に辿りつくために
歩くわけですから、そこに辿りつく「ために」
歩くわけです。
ほとんどのことは、だいたいなにかの「ために」
するのですが・・・
散歩となると、「今日はどこまで歩こうか」と
目的地は、後づけになってきます。
特に急いでもいませんから
「この路地入ったらどうなるのかな」
と当初の予定とは違う道にいったり、
「こんな所にこんな店があるのか、今度行ってみよう」
と知っている道であっても、新たに気付くことも
ありまして、なかなか楽しく「ただ、」歩いております。
なにかの「ために」、努力したり、準備したりすることは
生活を営んでいれば、当たり前のようにしますし、
だからこそ頑張れるということも事実です。
たまには、肩の力を抜いて「ただ」なにかをしてもいいかも知れません。
痩せるために、歩いてるんじゃなかったけ?
という指摘は・・・・
書いていて気付きました。
う~ん
東京本部 中根