先日、先輩から「野球の試合にでないか」と誘われ、当事務所から3人が出場することになりました。 相手は、滋賀県の中学生チーム。
こちらのチームの平均年齢は40歳以上です。私はチームのなかでは若い方でしたが、とはいえもう30代の後半。ポジションはキャッチャーをして欲しいと言われ、やってはみましたが、あんなにしんどいものとは思わず、3回で代わってもらいました。バッティングの方も、カキーンと打ちたかったのですが、すべてピッチャーゴロに終わってしまう始末でした。
試合は大変疲れたのですが、終わってみると非常に爽快な気分で、普段座り仕事をしている私には、いいリフレッシュになりました。
当然、次の日(実際は2日後)は、ひどい筋肉痛になりましたが・・・。
京都本部 中村
鎌倉散策が趣味の1つである私ですが、昨日(11月25日)鎌倉へ行きました。例年ですと、鎌倉は12月中旬が紅葉のピークなのですが、今年は11月中旬に気温の低い日が多かった為もしかしたら11月終わりでも紅葉狩りが楽しめるかもしれないと思って行ってみました。
予想通り鶴岡八幡宮と大塔宮では、もみじが紅色に色づいてとてもきれいでした。帰りにぶらぶらと小町通を歩きました。近年は夏の後すぐに冬が来てしまい秋が短くなっているとテレビで放送していましたが、大好きな秋が短くなるのはとても残念だと思っています。
東京本部 黒田
ある日突然、ウォーキングが始まり、すでに10日も続いています。
港区芝の事務所まで徒歩15分ほどなのに、自動車通勤を20年以上、そして最近数年は
自転車通勤。 それがひょっとしたことから徒歩通勤に変わったんです。
続きは ⇒ 「続きを読む」 をクリック 東京本部 渡辺俊之
京都の秋は紅葉一色に染まります。
知る人ぞ知るところから意外な穴場まで
数多くの紅葉スポットが楽しめます。
嵯峨あたりは名所がたくさんあるので
お勧めかと思います。
嵐山駅から常寂光寺、二尊院、祇王寺の
コースなどは観光客も多いのですが
見応え充分です。
私の記憶にある紅葉名所といえば、
左京区の永観堂と高雄の神護寺です。
今年は場所により12月上旬ごろまで
見頃のところがあるので、ゆっくりと
秋の風情を感じたいものです。
京都本部 田村
「松山捕虜収容所とロシア人墓地」の歴史
明治37(1904)年2月10日に日本はロシアに宣戦布告し日露戦争勃発。
この1ケ月後に、ロシア兵捕虜と松山市民との歴史物語が始まる。
宣戦布告から20日後の2月29日夕方、日本赤十字社から愛媛県日赤支部に「露国兵士患者数20余名、救疫の必要あるにつき県立病院の一部を借り受けた収容救護に支障あるか否か」の問い合わせの内容の電報が入る。
愛媛県日赤支部からその日の夜中、日本赤十字社宛に「受諾する」旨の返電を送信。
その時のロシア兵患者とは、日本が宣戦布告する前日の2月9日午後、朝鮮の仁川沖で日本艦隊に撃沈されたロシア巡洋艦・ワリヤーグ号の22人の負傷兵たちであったという。
宣戦布告前であったため、日本政府はこの兵士たちを捕虜とせず、「難破船救助民」と認定してその身柄を愛媛県の日本赤十字社支部で引き受けることを依頼してきた。
松山が捕虜収容所の適地として日本で最初に選ばれた理由は、第一には前の日清戦争で、松山に日本で初めて清国兵士捕虜収容所が置かれた事にあったようである。
その後3月19日、5月15日、6月10日、13日、・・・・と立て続けに送られ、百回以上、延べ6千余名の捕虜兵が松山に上陸している。
松山捕虜収容所の当初の目的は、傷病兵を預かることであったが、傷病兵の付き添いで健康な将校も多数上陸。
捕虜たちは、松山市民の「博愛の心(もてなしの心)」で外国から来た客人として取り扱われ、役務にも就かせず、温泉にも入れ、海水浴もさせ、学校の授業も参観させ、1里以内の自由行動も許されていた。将校の中には祖国から妻を呼び寄せて住むことまで許可された者もいた。
元気になって帰国した兵士から、もしも捕虜になったならば「マツヤマ」と叫べとの言葉が伝えられることになったという。
松山の捕虜収容所は負傷兵を対象として開設されており、重傷の負傷兵も沢山収容されていた。したがって、捕虜収容所の病院で祖国ロシアへ帰国することが叶わずして亡くなった兵士も多くいた。
明治37年4月28日に第1号死亡者の墓ができて以来、98基の墓が城山の見える丘にロシア人墓地として建立される。その後、この墓地も荒れ放題であったが、昭和35(1960)年11月現在の地に移転整備される。
その後、昭和58(1983)年ごろから、地元の勝山中学生徒会や老人会の手によって月1回の墓地清掃活動が続けられ、大切に保存されている。
平成6(1994)年10月25日には「傷ついた兵士を残しては、自分一人では帰れない」と言って、ここ松山の地で明治38年9月に亡くなったボイスマン大佐の胸像が建立された。
日ソ(露)友好のかけ橋として
(『愛媛、この百年』中川幸男著より抜粋
優和 松山本部 村上
先日、大阪・京都へ遊びに行きました。伊丹空港から梅田までのリムジンバスの中での出来事。私の後ろの座席に、おじいちゃんと孫のような男性2人が座っていました。聞こえてくる話では、おじいちゃん77歳。若い男性は24歳。全くの他人で、たまたまこのバスで乗り合わせたようです。おじいちゃんの昔話やら、若い男性の仕事の話やら、コテコテの大阪弁で話すおじいちゃんと、とても耳心地のよい抑揚で標準語を話す若い男性の楽しいおしゃべりは約1時間続きました。そして最後に「おじいちゃん、長生きしてくださいね」 「若いお兄ちゃんと話したから10年は長生きできるよ」と言ってバスを降りた2人。まるでドラマの1シーンを見ているかのような心温まる思いで、私の大阪・京都食い倒れツアーは始まりました。
大阪では、たこ焼き・どて焼き・串かつ・ラーメンと庶民の味を楽しみ、京都では、ちょっと贅沢に三嶋亭のすき焼きを堪能しました。少しは京都らしいところも見物しようと八坂の塔へ行きましたが、ここでもまた「かさぎ屋」という甘党屋さん(これがめちゃめちゃおいしい)でぜんざいを食べました。滞在時間23時間でしたが、寝る間も惜しんで、食べて、食べて、歩いて、歩いて、お腹パンパン・足パンパンで私の楽しい旅行は終わりました。
さて、最後に思った事。関西の人はどうしてあんなに早い速度で、あんなにいっぱい歩くのでしょう?帰宅した私の足は、ボロボロでした。
松山本部 大場
我が家全員に読書習慣が身についてきた。私は小学生の頃から、本を読む事がすごく好きで、現在も電車の行き帰りや、休日には、本を読む習慣があります。ある意味、精神安定剤的であり、知識習得の為に読書を楽しんでいます。
子供達には、小さい頃から、「本を読むと生き抜いていく為の知恵がついてくるよ」と、よく話しをしており、最近になって、長男は、その意味合いを理解したようです。
もう何回も読んだ本をダンボールに詰め、クローゼットの下が、倉庫状態になっていたものも、長男の手により、新しい風を吹き込んでくれているようです。
最近は、自分で買って読んだ本を、「読むか?」と言って、渡してくれるようになりました。
三男も小学校では、朝の読書時間があって、毎日、読書をしています。一週間に1~2冊のペースで読んでいるようです。次男は今、ベストセラーの麒麟の田村 裕が書いた、ホームレス中学生に没頭中。
休日には本屋に通う我が家です。でも、いわゆる、全員インキャラではありませんよ!
京都本部 下田
社員旅行で鹿児島に行ってきました—その2 です。
今回購入しましたお土産の一覧を公開いたします。
1. かるかん (猫缶ではありません、とガイドさんが言ってました。ちなみに、カルカンのビーフの復活はないのだろうか?せっかく、お気に入りだったのに・・・・・。牛BSE問題は人間だけの問題ではないのニャ。ところで、マグロの漁獲割当が減るとか・・・・。ねこの間でも時事問題は共通です。)
2. 天無双 (ご存知 さつま無双)
3. 黒豚ジャーキー (未開封)
4. シモン茶 (ティーバックだから簡単! と思ったら、煮出し用でした。 開封可能予定なし。)
東京本部 牧野
先日事務所の旅行で鹿児島に行って来ました。
生まれて初めて御岳(桜島)を見ましたが、
特に磯庭園から見た御岳が迫力があって感慨深いものがありました。
薩摩揚げ、鹿児島地鶏の刺身、白熊、薩摩芋の羊羹や素揚げなど
色々な郷土料理を食べましたが、とても美味しかったです。
観光では、おはら祭り、長崎鼻、池田湖、武家屋敷、知覧特攻平和会館などを
見て回り、盛りだくさんの旅行でした。
東京本部 渡辺幸子
不動産に関する法律は調べるほどに深みにはまります。
建築基準法、都市計画法、土地区画整理法、都市緑地法あたりが一般的ですが道路、農地、森林、河川、公園、港湾関係でも多くの法律があります。
特に都市計画法は非常に大きな法律で、普段耳にする市街化地域・市街化調整区域や用途地域と言われるものも入ります。他にはビルの高さが揃えられているのは美観地区、風俗営業等が禁止されたりするものに文教地区、良好な住環境を維持するための風致地区などさまざまな規制があります。
風致地区は、全国の都道府県が制定しますが、京都市のほぼ全域に見られ、京都府はダントツの広さです。というか京都市だけで1位です。加えて京都市伝統的建造物群保存地区条例、古都保存法、歴風特別保存地区、そして最近制定された新景観条例があります。
新景観条例はいくつかの条例からなりますが、影響が大きいのは中心地の通称「田の字」地区をはじめとする多くの市街化地域で高さ制限が45メートルから31メートルに制限されます。
マンションの多くが、一転違法建築となったわけです。
マンションはいつか建て直すときがきますが、そのとき31メートルから上に住む人の権利はどうなるのか。まだ決まっていません。
購入者がローンを組めるのか? ある意味眺望保証なので有利では? など、将来の価値をめぐって
いろいろな話がありますが、中心地の眺望の良いものは値上がり、それ以外は全体的に値下がりを始めています。
そして、さらに広く制限するのが眺望制限です。京都市内38ヶ所を「視点場」に指定して、そこからの眺望や借景を守るもので一体どの眺望を悪化させているのか、当事者でもわからないくらいです。
私が毎日、通勤で通る円通寺は比叡山の借景で有名ですが、ぎりぎりまで開発されてますのでもう少し早ければと思います。
とはいえ、多くの京都市民は京都駅ビルを作ったあとにだす条例か? と思っていたりもします。
しかし、京都に住む人間としてはここら辺で厳しくしなければ、古都とは呼べなくなるぎりぎりまで来ていると感じるのも事実です。
あと京都でわすれてならないのが文化財保護条例です。どの都道府県にもありますが、京都の場合、平安京跡地にあたるので埋蔵物が影響してきます。不動産を購入したり、ビルを建て直したりするとき、すでに埋蔵物調査が行われた物件かどうかは大きく影響します。埋蔵物調査は購入者の費用負担で行われるため「鉛筆1本も請求された」「1年建築が遅れた」などお客さんから聞くこともあります。
それに加えて、文化庁による指定、世界遺産による指定と、京都でマンション等を建てる業者を今までは建築業者として見てきましたが、いったん、これら数々の条例の存在を知り、市役所の中をたらい回しにされてみると法律家のように見えてしまう今日このごろです。
京都本部 吉原