今日は2006年の仕事納めです。
私の場合は大体毎年同じように思うのですが、仕事でもプライベートでも
とても充実した、そして成長することのできた幸せな年だったなと、1年を
振り返っています。
2年前に経理を全く知らない状態で入社して、先輩方に仕事を教えてもら
いながら少し綱渡り的に働いてきましたが、今では後輩に仕事を教えて
みたりお客様の質問に答えてみたりと、これからもっと仕事が楽しくなる
なと思う毎日です。
会計事務所や税理士法人というと働いている人々が変に真面目で、いつ
も浮かれている自分は本当に浮いてしまうんじゃないかと心配していたの
ですが、この事務所(京都本部)の方々はよく勉強するのですが大体私よ
りも浮かれていて楽しくて優しい素敵な方ばかりで、そのことが毎日働き
ながら感じる幸せの素になっています。
さて、この場をお借りして、今年もお世話になった皆様に感謝すると共に、
来年もどうぞ宜しくとお願い申し上げます。
そして、このブログを読んでくださる方々へ、年末年始のご多幸をお祈り
申し上げます。
皆様、良いお年をお迎えください:-)
京都本部 戎谷夕可子
先日、社員旅行でアンコールワットへ行きました。
他のコラムにもありましたが
私もアンコールワット遺跡の急階段の上り下りを
何度か繰り返しました。
普段は全くといって良いほど運動をしないので
筋肉痛にはなりましたが、久々に運動不足を解消出来たように思います。
おまけに、階段を上った遺跡のからの眺めは、非日常的な世界で
素敵でした。
東京本部 渡辺幸子
叔父が秋の叙勲、瑞宝単光章を受章しました。
叔父は染工場の事業主です。
”絞りの染めもん屋”を半世紀以上やっています。
「おっちゃんが東京で天皇さんに勲章もらわはるんやでー
あんたも行くかー」
と親戚から電話で連絡がありました。
何日か意味がわかりませんでした。
叙勲授章祝賀会があるので親戚一同で出席しよう
という意味でした。
数日後、コンビニの事業主のお客様に、叔父の話をしました。
「君の叔父さんは立派は人だね」
とお褒めの言葉を頂きました。
私は、夫婦で24時間年中無休で
赤字でも撤退することが許されず
20人ほどのアルバイトのローテーションを心配し
天気や地域のイベントに注意しながら
時間単位で仕入・陳列をして
いつも笑顔で大きな声でお客様に挨拶されている
目の前の経営者に、50年後勲章をあげたい
と心の中で思いました。
祝賀会当日、出席された方々が自分のことの様に
喜んでくださっている様子でした。
2年ほど丁稚奉公した染めもん屋さんと今でも家族
同様に付き合っています。
伝統工芸を継承しながら、新しい染めや絞りの研究に対する
努力を惜しまず、取引先や得意先に支えられてきた叔父がいました。
小学校から帰ると、舗装されていない道路を大八車をひいて
家業を手伝っていたことも初めて知りました。
叔父さん、お客様、これからも頑張ってください。
また、立派な仕事をされている経営者の方々と接する機会
が多い、今の自分の環境に感謝します。
京都本部 MN
というわけで、皆さんこんばんは!DJの笠山田弘です!
今回で、2回目の登場になるかな^0^
さて、今回のテーマはカンボジア旅行。今日も早速だけどいっぱい葉書が来てるから、どんどん紹介していくよー。
まずはこちら、「アンコールワットに行って来ました。やはり、ここは独特の文化が想像されとても雄大でした。全てくまなく見聞するだけでも、満足できる光景でした。でも、日本語、韓国語、中国語が自然と耳に入り、んー、一体ここはどこの国なんだろという感じでした。」(目黒区 笠田朋宏 33歳)
そーだよねー、中々石の彫刻とかが沢山あってきわめて精巧に作られてるようだね。その分、観光客も沢山いるんだよねー。
「シェムリアップの空港でキリギリスが鳴いてたよ。風情あったな。広大な空港だったし。あ、あとなんか知らんけど、町中の犬たちは放し飼いだったね。でも、おとなしくて可愛いんだよね!うちのクーちゃんも可愛かったよ。今まで本当にありがとう!(18.11.27 4:20)」(目黒区 笠田朋宏 33歳)
おいらは思うんだけど、外国の犬と日本の犬は言葉が通じるのかなー。いずれにしても、狂犬病には気をつけよう^^>おおる
「アンコールワットその他の遺跡にはとても急な階段がありました。昔の神殿なのでしょう。今度行く人は上ってる途中で後ろを見ないようにしたほうが良いよ。」(目黒区 笠田朋宏 33歳)
これについては、前のコラムに写真がいくつか貼ってあるようだから、それを見てくれると良いかな。百聞は写真の一見に如かず。でも写真の一見は、生の零点一見に如かずだな。あと、これらの遺跡の雰囲気はドラクエや、風来のシレンに取り入れられてんのかな。
「現地のガイドさんに「電波少年」で舗装していた道はどこですか?と聞いたら、あまり感動的でもなく、「あっちの裏のほう」とだけいわれました。TVでは凄かったけど、実際はどうなんでしょう。TV外の他の人も手伝っていたようです。」(目黒区 笠田朋宏 33歳)
んー。期待ビッグで行った割にはちょっと、肩透かし食らったようだね。現在は、彼らが道を馴らしたあと、しっかり舗装されているとの話だよ??!
「WEDGE12月号はしっかり読みたいですね。「業績に明暗 目先の利益を追った電機メーカーの転落」。以前のブログで短期的利益にとらわれるな。とあったけど、その通りだと思いました。」(目黒区 笠田朋宏 33歳)
おっとっと。これは、次回のテーマである、これからの日本の景気と経営手法についての葉書だった。次??!
「やっぱ、英語が話せたらいいなと思います。うちの従業員でも話せる人がいて、とっても格好よかったです。」(目黒区 笠田朋宏 33歳)
ははは。そうだね。東南アジアのほうでは殆どの国が片言は英語しゃべれるみたいだもんね。日本ももう少し英語の授業の時間増やした方がいいね。「萼」とか、「微分方程式」とか知ってても、その道極める人じゃないとつかわないからね。
「やっぱ、旅行にはカメラ必要だね。でも、僕はしょぼいので、写るんですを持ってきました。殆どの人はデジカメですよね」(目黒区笠田朋宏 33歳)
今一番マイノリティなんじゃないのー。やっぱ、持ってくなら京都本部福永さんみたいなカッコいいやつの時代だよ^^
「ガイドさんに、「カンボジアは治安がいいですね。」と言ったら、「都心ではとても治安が悪く、ひったくりも多いし、他の未開発の遺跡ではまだまだ地雷原があるんだよ」といわれましたよ。」(目黒区 笠田朋宏 33歳)
ほうほう。やっぱり、アンコールワットは観光都市だからいいようなもので、全体としてはまだまだなのかな。お??しょろしや??。
というわけで、沢山のお葉書どーもありがとー!時間の関係でこれだけしか紹介できないけど、今日紹介したみんなには、特製ストラップを作ってもらいます!!
じゃあ、最後においらお勧めの「銀座」です。「町屋銀座」です。中程の所においしい焼き鳥屋があるよ!
では、又の機会に ^0^ ^0^
11月末に、京都本部から歩いて5分程の場所に、「京都国際マンガミュージアム」という世界初の
マンガの博物館がオープンしました!
このミュージアムは、京都市と京都精華大学との共同事業により、閉校された元龍池小学校を
改装し作られました。 日本のマンガ・アニメーションは、国際的に高い評価を得ており、
また、国内でもサブカルチャーではなく、芸術分野のひとつとして位置づけられつつあります。
平安時代の絵巻物語から始まる日本のマンガ文化を研究することや、生涯学習・地域の活性化等
を目的として作られたそうです・・・。
さっそく私は、小学3年生の息子と一緒に行ってみました??。
マンガが大好きで育った私にはとても楽しかった・・・そして、懐かしかったです。
ドラえもん は勿論のこと、最近のNANAやワンピース、そして世界のアニメなど約20万部を自由に
観覧することができ、子供と目をキラキラさせながら夢中で読んでいました。。。
懐かしさの理由は、もう一点ありまして・・・この小学校は私の母校なのです。
私が通っていた頃でも創立110年は経っていた小学校です。歴史があるので、放課後うす暗くなると
幽霊(!?)がでてきそうで怖かった想い出があります。すっかり明るくキレイになりましたが、
階段などは昔の面影があり、いろいろな想い出が蘇えり懐かしさで胸がいっぱいになりました。
そして、私の原点でもあるこの場所で、現役小学生の自分の子供と一緒にのんびりと過ごせている
ことに幸せを感じたのでした!
カフェもあり、人工芝の運動場で遊ぶことも出来ますよ。 !(^^)!
お時間があればぜひぜひ行ってみてください♪♪
HPはこちらです → http://www.kyotomm.com/
京都本部 山室道子
兄が篆刻(てんこく)という私自身あまり聞きなれない趣味を持っており、先日、実家に帰った時に参加してみました。篆刻というのは、中国の秦の始皇帝が中国を統一した際に誕生した篆書という書体を使って石に文字を書きその文字を彫り印鑑にするのが一般的だそうです。書道、絵画で使うための印やちょっと変わった印がほしいという方が参加されていました。
初めは、自分の名前を漢字で石に書きその後に彫る作業をしました。石に文字を書くだけでも一苦労でしたが、今までにない経験をすることができました。
最近はあまり興味のないことには誘われても足を運ばないことが多かったのですが、今回参加することで普段会わない方と話せたり、自分自身の楽しみを増やすためにもいろいろなことにちょっと参加してみるのも一つの方法ではないかと感じました。新しいこと参加する中で一生続けられる趣味に出会えればと思いました。
京都本部 梅林
「松山や秋より高し天守閣」
この俳句は正岡子規が松山城を詠んだ俳句ですが、松山という名前は1602年(慶長7年)正月15日を吉日として、加藤嘉明(豊臣秀吉と柴田勝家との戦いで活躍した「賤ケ岳の七本槍」の一人)が道後平野の中央に位置する勝山に築城の工を起こし、山の名前を松山と改めたことに始まります。そして1月15日を松山城誕生記念日として毎年この日は無料開放をしています。
松山人にとっては日常であり幻視でもありますが、夜ふっと息を抜いて星の高さに目をやる時、その視界のどこかに必ず松山城が像を浮かべています。松山のどこからでも見ることの出来る位置にはちょっとした嘉明の思いがあり、築城候補地として、天山、勝山、御幸寺山を徳川家に上申し、勝山に築城の許可を得ています。しかし勝山は、第二候補地でした。当時、徳川家は築城地に第二候補地を選ぶことが多く、嘉明は、希望の勝山を敢えて二番目の候補地として申請したのです。事は嘉明の思い通りに進み、勝山への築城となったのです。
松山城は1627年(寛永4年)に、25年の歳月をかけて完成しました。築城当時の天守閣は五層でしたが、その後、三層へと改築(天守閣の規模が大きすぎるので幕府に遠慮したためという説と、二つに分かれていた峰を切り崩し埋めた、もともとは谷の位置に天守閣があったため地盤が不安定なので安全を考えたという説とがあります。)されています。
その後、天守閣は落雷で焼失したため、約150年前の江戸末期に再建されました。現在の建物は、昔の姿のままの総木造となっており、わが国城郭建築史上における最後の作品として注目されているそうです。
なお、平成16年10月から約2年間にわたり、行われていた国の重要文化財の天守閣など7棟の保存修理工事が平成18年11月に完了しました。松山城には50棟の建造物があり、そのうち21棟が国の重文に指定されています。
これからも松山市のシンボルとして市民や観光客に親しまれていくことでしょう。
(松山市HP参照)
松山本部 村上
紅葉も散り始め冬の気配が出てきました今日この頃…
私の一番の趣味はスノーボードで毎年この時期になると雪が降るのが待ち遠しくなります。
スノーボードを趣味としたのは2年前に友達が誘ってくれて滋賀の箱館山に行ったのが切っ掛けでした。
それまでは雪山というと、何時間も車に乗って大変な思いをして行くものだと思っていましたが、意外にも近場ですと自宅から1時間ほどでゲレンデに着くことを知り、初めて滑ったその日に道具一式を買い揃えてしまいました。
スノーボードを始めたことで気の許せる友達が増え、気が滅入った時には励ましの声(メール)をくれたりして勇気付けられています。
なにかしら趣味を持つということは共感できる人達とのふれあいを持て、それはとても大切なことのような気がします。
京都本部 加藤